王一亭 (オウイッテイ)

作家についての紹介/履歴

1867年清同治の出身。
1880年上海の慎余銭荘で徒弟となり、業務の合間に外国語を学んだ。その後、商業界で着実に地歩を固め、海運業務の商店・天余号で経理にまで昇進した。
1907年日商大阪郵船のコンプラドール、さらには三井洋行が所有する上海製造絹糸社社長も務めた。
1909年滬南商務総会総理に選出され、上海商務総会議董、上海自治公所に任ぜられ、上海の地方自治事務に取り組んだ。
     上海軍政府が成立すると、交通部部長や農業部部長を歴任した。
1912年王一亭は黄興らと南京で拓殖学校を創設した。翌年、第二革命で革命派が敗北すると、王はイギリス租界に逃れ、絵画に没頭していた。
     学徒の時代から書画熱が高じ、この頃に任伯年に就いて絵を学ぶ。山水画は呉鎮に師法した。人物画、花鳥画、仏画に優れ晩年にはほとんど毎日仏像を画いた。
1925年王一亭は、逝去した孫文を葬る中山陵の図案選定顧問を務めた。1927年、国民政府中央救災準備金保管委員会委員長となり、さらに振務委員会常務委員などに任ぜられている。1932年には、国難会議に招聘された。1937年に第二次上海事変が勃発すると香港へ逃れたが、まもなく上海に戻っている。
1938年上海で死去。享年72(満70歳)。
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